聖徳太子と藤原氏

 固有名刺を出してしまいますが  夫のお母さんつまりお姑さんの旧姓は  藤原といいます。

同じ県の出身なのですが  夫の実家は とても山里なのです。 そのなかで 姑は寝る間も惜しんで もくもくと農業に励んでいました。

農業は 芸術だ。 種を植えると 育ってくれる。

いつも前向き 頑張りやの姑らしい言葉です。嫁姑とはいえ  私はこの人に 嫌なことを言われたためしがない。
 夫よりも  私はずーっと信頼していました。実家の母よりと言ってもよかった。😑

 田舎のお婆ちゃんそのものの彼女でしたが、なんでも  実家は昔庄屋様で  義母がいうには 藤原鎌足の子孫だとのこと!  嘘かほんとかわかりませんが  義母はその父親から ずっと聞かされて 育ったらしいのです。σ(^_^;)? 

私が 驚くのは その思いだけを心の支えに 貧しい農家でありながら  六人の息子を育て  旦那さんの反対を押しきって   日雇いのアルバイトをしながら  大学にまで入れたこと!
 
 兄弟の中には 国立大の教授になった人も 霞ヶ関の役人になった人も。       うちの旦那さんは  義母のアルバイトを手伝った側で  
普通の 会社員でしたが。

 そんないきさつもあり  日本史のその頃にとても興味を持った時期がありました。
 とくに スーパーヒーロー聖徳太子に💓 実在しない人との説もあるそうですが  私は 信じない。

あの 法隆寺は 続けて四人息子をなくした藤原不比等が  聖徳太子の鎮魂  魂を封じ込めるために建てたという説❗  こちらを 信じたい。

 何か 法隆寺って そんな陰鬱な荘厳さがある。
宝物館を訪ねた時に  一枚の女性の掛け軸のようなものを見たのです。 きれいな女の人で 刀自古とありました。    

帰ってから 調べると 蘇我氏の娘で 聖徳太子の第一婦人でした。  なーるほど(;^_^A  だからどこか 品があって 少し寂しげな┐('~`;)┌

息子さんも  たった一人。  その頃絶世の勢力があった人の娘さんだけに 孤独でもあったろうな〰。

後に 聖徳太子は 身分のひくい女性と結婚して その人とは  お子さんをたくさんつくります。

刀自古のために建てた塔が 法輪寺
後に 母と訪ねるのですが  のどかなところに堂々と 美しいのだけれど やっぱり 独りぼっちで建っていました。 誇らしげで 品があり 凛とそびえるその姿は  刀自古そのもの❓❔

後者の奥さんのために建てた 法起寺
なんか 可愛らしくて  賑やか‼

私の  独断と偏見ですが😑  
 
 女性としては、刀自古に憧れながらも  後者でいたいな🎵
頑固で プライドがたかい私は  前者よりかなぁー😒

今は あの頃ほどではありませんが  やはり聖徳太子は 大好きです。  Y先生と同じ  法華経を学んだ方❗🍀

 政略の犠牲で 追い詰められた聖徳太子の息子の山背太子が  一族もろとも自害したいかるが寺が   今はないのですが 法隆寺から 六角堂に行く途中にあったらしいのです。  そして ソコいらへんで  法隆寺に連れていった義母が 足が痛むと動けなくなり ゚ ゚ ( Д  )   
 私は  藤原の血をひく義母が  聖徳太子の 怨みをうけた😨🌀  等と  内心 思ったものでした。😅💦💦💦