報われるということの幸せ😌🌸💓

 一昨日、長男の大学院の入学式に行ってきました。 彼は、この大学にずっーと憧れてきて、私が別の大学を強く薦めたにもかかわらず、現役と浪人と 二回受けて落ちました。  だから言ったのに、の言葉を飲み込んで黙っている私に、 母さん東京大学受けさせてくれて、ありがとう  の一言。 本当に、何も言えなくなった。  きっと母さんの薦めてくれた大学を受験したら、合格していたかもしれないけど、ずっーと母さんを恨んでいたかもしれない とまで言われ 良かったぁ💦😅  と内心 胸を撫で下ろしました。 でも、彼は諦めきれず、翌年も仮面浪人で挑戦し 諦めた様でした。 
 でも、人生捨てたもんじゃない! あの子は高校時代、というか小学生の時、ある塾で猛勉強させたせいか まあ 本人の性質もあったし 学級崩壊等の犠牲にもなり、それまで おだやかだった性格が一変して、まるっきり別人になりました。  家族も大変な思いをしましたが、 人間不信のようになってしまった本人が、一番辛い思いをしてきたことでしょう。   
 それが、大学での生活で やっと 人間関係を取り戻せたのです。 研究室やサークルで充実した活動をしている彼を見ると、良かったねーと母として本当に大学に 感謝しました。
 そんなんで、大学院はどちらにするか 迷っていた様ですが、やっぱり憧れを選んだんですねぇ。
 この一連の流れの中で、人間万事塞翁が馬 のことわざがずっーと頭に浮かんでいました。 どっちがいいかなんて、わからないし 人生の幸せは、人と競うものではない。 逆にいうと、そこに 幸せは ないんですね。 自分の人生の幸せは、遅い🐢 速い🐌💨💨ではなく、ある時季が来て 経験できればいいんです。 条件では ないのはたしかかなぁ。 歩いてきた道が 自分を成長させてくれて だから 険しい道も無駄じゃないし ある意味必要な 人生のカリキュラムかも。 心の欲する夢を叶えるには。 そういえば、Y先生も 思いどうりにならないほかうが、有り難いっておっしゃっていた。 回り道には、どんな花が咲いているかわからないし、人間て 苦労という鍬で心をたがやして 豊かにしないと、何か深いものが感じとれない。  先生に、その言葉をお聞きしたときは、ホントかよ⁉というふとどきな気分でしたが、60歳になった今、実感しています。
 でも、入学式に出席させていただいて、あの満開に咲き誇った桜の下を 子供の入学式等、小学校の時くらいしか出たことのない夫と共に歩きながら、この大学は 夫にとっても意味があったので、夫に対しても内心良かったねーと 桜の華やかさにまけないくらい 華やいだうれしい気分で一杯になりました。😄🌸🌸  ありがとう 長男❕ ありがとう 神様❕